天蒼くみかにゃん肥ゆる夏が去り
天高くみかにゃん肥ゆる秋がやって参りました吉祥寺です。
まだまだ
Tシャツ社長でっせ。
お待たせしました!
「練乳とホルモン」大人気(?)シリーズ
”あの事のあんなお話 その4”がやってまいりました!
前回、前々回、前々々回を読んでない方は、こちらをお先にどーぞ。
と、ここでまずお詫びがございます。
前回、聖剣2プロジェクトの前身”○鳥プロジェクト”一時中断の
くだりに触れましたが、その記事を読んだ”聖剣伝説2”プロデューサーの
田中弘道にぃさんから
「○鳥プロジェクト中止の一番の理由は当時(スーパーファミコン時代)発売予定だった
CDロムの発売が延期になったからやでぇ~。」
との突っ込みが。
自分も忘れていた記憶がうっすらと甦りましたで。
貴重な突っ込みありがとうございました。
とゆう事で、一部曖昧だった記憶に誤りがあった事、
お詫びと共に訂正させて頂きます。
さぁ!そんなこんなで思い出の赤坂から
夢と希望の恵比寿へお引っ越しした株式会社スクウェア。
”恵比寿 風雲篇”のスタートでっせ。
やって来ました恵比寿!
恵比寿とゆう街は赤坂に比べてとにかく飲食店が多く
休日にはデートスポットになるようなおしゃれな街でございます。
それだけでも恵比寿への社屋引っ越しはスタッフみんな、
大喜びしとったんじゃないでしょーか。
現在の赤坂はサカスなども出来まして
休日に遊びに来れるような街になりましたが
当時の赤坂は思いっきりビジネス街だったので、
平日はサラリーマンやOLで賑わっとるけども
休日は外を歩いてる人なんてほとんど誰もおらん状態でした。
なので休日出社をしようものなら
飯屋を探すのもひと苦労やったんやでー。
ただ赤坂を離れる唯一の心残りは、
スクウェアスタッフがこよなく愛したインド料理の店「モティ」に
気軽に行けなくなる事でした。
モティ・・・スクウェアファンならすぐにピンと来たやろ?
聖剣シリーズ通して登場する踊る店員さんの名前でんがな。
みんながこよなく愛した”モティ”の名が彼に贈られとったんやね。
赤坂モティは現在も営業してるので興味がある方は是非一度巡礼してみたらよろし。
でも店員さんは踊っとらんからね。
事業拡張の為、事務所のスペースも赤坂の3、4倍くらい広くなったけども
引っ越し当時はまだスタッフも増えてなかったんで
ほとんどが空き部屋やった。
だもんでそのひと部屋をエアガンシューティングルームとして
使っちゃってたりしてたんや、現モノリスソフト取締役が。(^^)
それ程にスペースも余裕が出来たんで
聖剣チームも1区画丸々もらい、聖剣チームに限ったわけではないけど
各チーム、この頃からスタッフもじゃんじゃん増えて行ったんや。
クソ生意気なプログラマー、現App Bank GAMESの社長、宮川義之も
この時にスクウェア初の高卒採用で入社、聖剣チームに配属。
そして現在ファイナルファンタジーチームでブイブイ言わせている
クソ生意気なエフェクトデザイナー(当時)たかしんこと
高井慎太郎もこの頃入社、聖剣チームに配属。未だ独身。
他のチームではサウンドの光田康典や、バカ画伯こと倉島一幸、
ポリポリクラブの木村祥郎やらがどやどやと入社して来て
会社がにぎわい始めて来た頃やね。
恵比寿に移った1年程で倍以上のスタッフ数になったんちゃうかな?
聖剣チームも徐々に徐々に空白の担当者欄に名前が埋まりはじめ
まったりと歓迎会、仕事、呑み会、歓迎会、歓迎会、仕事、呑み会、、、
的な日々が流れ、ゲームも段々と形になり始め
プリプロ的なものが出来上がり始めたのでした。
マップが表示され、キャラターが動き始めたのもこの頃や。
しかし自分がドットを打ったキャラクターがコントローラーで
初めて歩いた時はホンマに感動やったね!
自分の子供が初めて歩いた時の感動と同じくらいや。
そのうち走るようになり、
座ったり、
草を刈ったり、
ベットに行けば布団に入り、
敵と戦い、
水の中にも入れるようになり、
様々なアクションをし始める・・・
まさに自分の子供の成長を見てるようやったんやで!
なんて楽しいゲーム開発!
あ~懐かしい。
でもな、ここまでは順調やねん。
まだアニメが表示されるだけやったこの頃までは。
ここからゲームにするべく当たり判定やら
アニメの調整やら、パラメータの調整やらが入って来て
音楽やら効果音が入り負荷処理の問題も起き始め
バタバタになって来るわけやね。
恵比寿に移ったのが春先
その年を越えたあたりから
スクウェア社内でも地獄のプロジェクトと
呼ばれた聖剣プロジェクトが本領発揮するんやで~。
そして現さよならおやすみ株式会社”けるるー井上”が
髪を金髪に染め”狂犬けるるー”と呼ばれ始めたのもこの頃やった・・・
”あの頃のあんなお話 その5”につづくっ!