Kameoka Blog 練乳とホルモン
あの頃のあんなお話 その3

diary20130802ファンタジーライフの夏!
LINK!の夏!
繋がる夏!
みんな、繋がってるかい!?

朝、頬に付いたシーツのシワの跡が昼過ぎまで取れない
Tシャツ社長ですっ。

心に残る夏の忘れ物・・・
「ファンタジーライフLINK!」も
世間さまでは概ね好評のようですね。

では、概ね好評のようで良かったね記念!

お待たせしました!
「練乳とホルモン」大人気(?)シリーズ
”あの頃のあんなお話 その3”がやってまいりました!

前回、前々回を読んでない方は、こちらをお先にどーぞ!

”あの頃のあんなお話 その1”
http://brownie-games.co.jp/201205311500.php
”あの頃のあんなお話 その2”
http://brownie-games.co.jp/20130621104.php

時は1991年(・・・たしか)初夏。
FFⅣの開発も終わり、新たなチーム編成がおこなわれ
スクウェア社内もまったりと時間が流れておった。
実はこの頃、スクウェア大阪開発も立ち上がり、
正確には5チーム体制になっておったのじゃ。

そしてFFチームは「FFⅣ イージータイプ」の開発を進めながら、
FFⅤの企画を練っておった頃だったと記憶。

FFⅣの報奨休暇も終わり、田中さん(聖剣チームリーダー)たちも出社、
我が聖剣チームも、やっと本格的に始動だぜーっ!!!
・・・と、思った矢先、今度はなんと夏季休暇がやって来るのである。
総務部からのアナウンスによると、
「今年の弊社の夏休みは8月1日~8月31日までです。」と。

さぁー、やっとこれからっ!と、気合いが入った新人達の出鼻を挫く、
学生並みの1ヶ月の夏休み。
嬉しいやら、気が抜けるやら・・・

しかしまぁ、休めとゆうならしょうがない。
って事で、4月1日に入社し、
4ヶ月程働いた(?)ところでまさかの1ヶ月の休暇。
ガッツリとサマバケ休ませて頂いたのでした。

そして1991年 秋 

夏休みも終わって、
仕切り直しの聖剣チーム本格的スタートや!
当時のメンツはリーダー田中弘道さん、
メインプログラマーのナーシ・ジベリを
含めても十数人。
この頃からスタッフ増員も本格的に始まり、
社内では連日の”システムどーする会議”が繰り広げられとった。

会社からの命題は”ゼルダを超えるアクションゲームを作れ!”。
しかしながら当時の日本の市場は”アクションゲームはコマンドRPGよりも売れない”
とゆうのが定説の時代であった。
アクションゲームが売れないとゆうよりも、
日本国内ではコマンドRPGが絶頂期であったのだね。

会社からは売れるアクションを作れ。
しかし日本ではアクションはRPG程売れない・・・
さぁ、どうするか?

、、、ならば見ためアクションっぽいコマンドRPGを作ろう!
とゆう方向に決まったんや。

しかし方向は決まったが、アクションっぽいコマンドRPGってどんなやねん?
って話で、スタッフ間のイメージが統一出来ずに結構、右往左往しとった。
当時はアクションっぽいコマンドRPGなんてなかったもんやから
言葉では理解しても、イメージしてみても面白みがわからない。
そんなこんなで、すったもんだし、あの聖剣伝説2のウリでもある
”モーションバトル”とゆうものが生まれたんやな。

次に操作プレイヤーキャラを何人にするか。
「2人プレイのアクションゲームは既にあるから、
やるなら3人プレイに挑戦だろ?」
既存のものと同じモノを作るなら意味がない
常に新しい事に挑戦しようってことで、
システムはコンシューマーアクションゲーム初の3人プレイ対応の
アクションっぽいコマンドRPGゲームに。
いやぁー懐かしい。

そんなこんなでシステムやら設定が徐々に決まって行く中、
あっとゆう間に世間は年の瀬。
スクウェア入社して初の忘年会や。

忘年会の会場はなんと熱海。
新幹線に乗って、熱海の温泉宿にて泊まりで開催や。
酒呑みに熱海まで行くんやで!?

で、年が明けたら今度は社員旅行。
ハワイはオアフ島へ1週間の旅。
しかも会社からのお小遣い付きや!
なんとゆう時代やったんやろね。
これがバブルと呼ばれた時代なんやでー!

ハワイ旅行から帰って来ると、今度は事務所が手狭になって来たっちゅーことで
当時の赤坂オフィスから恵比寿に引っ越すで!とのこと。
入社してから1年足らずだったけども、
とにかく仕事よりもイベントが大忙しやった当時のスクウェア。
結局、聖剣の本格的な開発は恵比寿への引っ越しが終わったら
とゆう感じの流れに。

遊んでばかりいるイメージかもしれんけど、
この頃は同期の新人連中、テツ(野村哲也)達とで毎日一緒に
昼飯に行っとって、飯食いながらゲームの話ばかりしとったんやで。

他のチームの話を聞いちゃあ、こんなアニメにしたらどうだ?とか、
こんな背景の持ち方どうやろ?とか、
こんなキャラクターがこんな攻撃したら面白いやん!?とか。
熱かったで、あの頃はみんな。
毎日毎日ゲームの話ばかりしとったわ。
・・・あ、違うな。半分くらいは女の話やったな。

それに当時はスクウェア社内は開発トップが、
いい~感じにライバル心燃やしとったから
それもまた良かった。
下のスタッフも他チームに負けんように張り切っとったで。
特に坂口さん率いるFFチームを超えてやる!って
FF以外のチームのスタッフはみんなそんな野心を持っておった。

良く出来たソフトが発売されちゃあ、会社のリフレッシュルームで
どれがBGでどれがOBJだ?とか、解析して楽しんどった。
多分、他社さんもそうだったんちゃうかな。
スーパーファミコンはハード側でBG、OBJの表示数の限界が見えてるんで、
後はどう工夫して1画面内の情報量を増やすか。
(正しくは増やしたように見せるか)

力ではどうにもならない、
どこの会社もアイデア勝負の良い時代やったよ。

ってなわけで1年しかいなかった”赤坂 発動篇”これにて終了。

この頃のスタッフ数は事務系、開発系合わせて6、70人。
次回からいよいよ”恵比寿 風雲篇”のスタートやで!
恵比寿で社員も一気に増えるんや。

あのクソ生意気なプログラマーや、
あのクソ生意気なエフェクトデザイナーたちが
続々とスクウェアに入って来るで。

お楽しみに!

※TOPの画像にある「DO!スクウェア」・・・この謎の冊子は一体なんぞや?

実はこれ、当時社外向けに作った会社案内なんやけど、
内容はというと、社内案内と呼ぶにはとってもほど遠い、
バブル時代のスクウェア黒歴史を象徴する最も恐ろしい一品なのだ!

中身を公開しようものなら、何人もの旧スクウェアスタッフ達が、
阿鼻叫喚の坩堝に陥るで。
かく言うTシャツ社長本人も、無事ではおられんやろ・・・

それ程恐ろしい禁断の一品なんや。

・・・見たい?w
ブラウニーズに入社したら、なんと見れちゃうんやでっ!w