ファンタジーライフを遊んでくれた人は
この夏、素敵なLINK!(出逢い)がてんこ盛りだったみたいですね。
いやぁ~、なんと素敵なソフトを作っちまったんでしょ。
夏の思い出、ファンタジーライフ。
ども!Tシャツの亀岡です。
でも本当はVネックなんです。Tシャツじゃあないんです。
でもTシャツ社長でいいんです。
8月も終わりですよ。
暑かった夏休みも終わりです。
あっとゆう間に終わりです。
バタバタな今年もきっとすぐ終わってしまうんでしょうね。
そう、全ての物事には終わりがあるのです。
終わると言えば先日、渋谷の老舗ゲームセンターが
35年の長い歴史の幕を閉じたそうです。
・・・35年でっせ。
ちょうど今のゲーム業界で、プロジェクトの先頭に立って
突っ走っている人達は同じ年齢くらいじゃないかな。
ゲーム産業に限った話しじゃないのですが、
どの世界も時代が変わると共に
その流れに乗って変われるかどうかが、
生き残る為のセオリーとされています。
時代が変わっても今までとスタイルを変えずに生き残るって事は、
カッコいいけど、とても難しい事なのでっせ。
35年前といえば、おっちゃんもまだおっちゃんになっていなかった
ピチピチでブイブイ言わせてた頃です。
その頃のゲームセンターは今まで主流だった
ピンボールゲーム等が隅に追いやられ
インベーダーゲームに代表される
新たなビデオゲームの登場で、
ゲーム産業も急成長を迎え始めた頃。
当時はビルに空き部屋があれば、ビデオゲーム数台と
両替機を置いておくだけでそれなりの儲けになっとった。
だから当時のゲームセンターはコンクリ打ちっ放しの怪しい
ビルの1室ってのが多かったねん。
今みたいにキレイな内装にネオンキラキラなちゃんとした
ゲームセンターは少なかったんやで。
その頃のゲームセンターと、今のゲームセンターとの
一番大きな違いは何と言っても客層やね。
あの頃のゲームセンターといえば
タバコ吹かしたリーゼントの健全なヤンキーたちしか
おらんような不良のたまり場やったねん。
真面目な風体の学生が来ようものなら、真っ先にトイレ
連れ込まれてカツアゲ(恐喝)の的やった。
店の前には改造バイクが並ぶ
ゲームセンターとはそんな場所やったねん。
*おっちゃんの地元(武蔵村山市)の一部だけの話かもしれんで。
今思うとゲームセンターにたむろしてた
健全なヤンキーたちは、はたしてゲームが上手かったんやろか???
ヤンキーたちはみんなナゴヤ撃ちとか出来とったんやろか?
・・・謎やね。
でもあの頃は確かにそんな健全なヤンキーたちの憩いの場が
”ゲームセンター”やったねん。
その後、ヤンキーと呼ばれる好青年たちが絶滅の危機を迎え
オタクと呼ばれる今まではインドアだった好青年たちが
健全に外へ出るようになって、
ヤンキーがいなくなったゲームセンターを
純粋にゲームを愛する彼らが取り戻したわけや。
収まるべきところに収まったとゆう感じやね、ええ話や。
アナログなピンボールから、デジタルなビデオゲームに移り変わり
プリクラの登場で女性層の引き入れに成功し、
デジタルなビデオゲーム産業もカオス状態となり、
またまたコイン落としや、クレーンゲームといったアナログなゲームが復権し、
その時代に合わせて様相を変えてきたゲームセンター。
次にどんな人達が求め、どんな人達を求める場所となるのか。
もしくは時代の流れに付いて行けずに消え去ってしまう日が来るのか・・・
おっちゃんがたむろしていた思い出のゲームセンターは
とうの昔になくなってしまっているけれど、
ゲームセンター最盛期、インベーダーゲーム世代の生き残りとして、
その行く末をそっと遠くから見守っていこうと思うねん。