Kameoka Blog 練乳とホルモン
あれから20年…

練ホル148

夏をすっ飛ばして秋に突入したような
肌寒い日々が続く7月の吉祥寺…

どーも!
それでもTシャツ1枚で頑張る
Tシャツ社長です。
寒くありません!

ブラウニーズSwitch初参入ゲームソフト
『ドラえもん のび太の牧場物語』も発売からずいぶんと時間が経ち
発売直後の盛り上がりも落ち着きを見せはじめた頃でしょうか?

しかし、社内はまだまだ『ドラえもん のび太の牧場物語』
の関連作業に追われておりますぞ。
今後の展開を楽しみにお待ちくださいませ!

そして、
この7月15日で自分が携わったとある作品が20周年を迎えるのです。
その作品のタイトルは『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』

『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』は1999年7月15日にPlayStation用ゲームとして、
旧株式会社スクウェアから発売されました。
この作品で自分はキャラクター周りのデザイン、アニメーション等の統括を
させて頂き、作品自体の思い入れももちろんの事なんですが、
何よりもこの作品リリース後から大きく自分の人生が、
激しく動き始めたのです。

ネットやらで書かれている通りこの「レジェマナ」リリース後、
実はある一定の販売本数を越えたら「LEGEND OF MANA 2」を、
作らせてもらえるという会社との約束があったのですが、
当時のスクウェア社内の事情で、その話しは一旦棚上げとなり、
自分を含め、多くのレジェマナスタッフは
スクウェア初となるオンラインゲーム「ファイナルファンタジーⅪ」チームへの
配属となりました。

当然と言えば当然なんですが、
スクウェア初の本格的MMOオンラインゲームとなるFFⅪは
諸々の見積もりが全く読めず、終わりの見えないプロジェクトでした。
グラフィックはフル3D。
しかしハードが3D向けになったにも関わらず
2D路線を頑なに通して来たレジェマナチームは
当時のPCスペックで表現出来る3Dでの世界が
2D作品よりも高く思えなかったのでした。

そんな時に、任天堂からスーパーファミコン並みのスペックを
持つ2Dライクな携帯ゲーム機
GBA(ゲームボーイアドバンス)が
発表されたのでした。

まだまだ2D路線で見せられる可能性を信じていた
自分たちは2Dグラフィックを極める場所を探そうと、
スクウェアを飛び出しました。
実は当時のスクウェアでは、やんごとなき事情により、
GBAタイトルは作れなかったのです。

歩き出す方向は決まっていたのですが、
じゃあどの船(会社)に乗ってその道を進むか?

当時はそれ程ゲーム会社の名前やその会社の情報が表に出ていなかったので
著名なパブリッシャー(販売会社)しか名前が浮かびませんでした。
で、もう考えていてもしょうがないって事で
手っ取り早くゲームハードを出す任天堂に一番に行ってみよう!
と、1発目に任天堂の門を叩いてみたのですが、
これがあれよあれよと話しが進み、そして大きくなり
どこかの会社で社内に1チーム持たせてもらい、
好きに創らせてもらおうと思っていたのですが、
会社を作る事になってしまいました。
これが現在の株式会社1-UPスタジオ、旧株式会社ブラウニー・ブラウンです。

全く経営のノウハウも無いままなんとか13年程、
社長をやらせてもらい、
社長業にも興味ややりがいを感じるようになって来た頃、
親会社である任天堂の状況もいろいろと変わって来て
社内タイトルのサポート会社になって欲しいと打診がありました。

世話になった会社なので、応援したい気持ちもありましたが
年齢的に精力的に動けるのは、あと10年。
10年後に後悔しない為にも、ここで完全な自由を選び、

ブラウニー・ブラウンを離れ、
新たに株式会社ブラウニーズを作ったのでした。

思い返すと、あの『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』の後、
もしも『聖剣伝説 LEGEND OF MANA2』を作らせてもらえていたら
きっと会社を設立するまでの選択肢は自分の人生になかった気がします。
あのタイミングだったからこそ、普通では集められないような
有能なスタッフがスクウェアから付いて来てくれたし、
会社を作るなんて言う大きな話しの流れになったのだと思います。

当時は「LEGEND OF MANA2」を作らせてもらう為の条件であった
販売本数もクリアしていたし、
スタッフも2の開発に向けてやる気満々だったので
約束が違うじゃねーか!と、
開発を統括していたヒゲの坂口さんに
恨み節を唱えた事もありましたが、
今思うと一見マイナスな出来事が、
人生を左右していく大きな岐路となるんだなと
自分の人生を振り返り実感しています。

ブラウニーズを立ち上げる事になったきっかけも、
そうでしたしね。

自分の人生だけかもしれませんが、
人生って波が落ち着いて来て、
穏やかな日々が続き始めると
何かしら事件が勃発して、また大きな波が起こる気がするんですよ。
そしてそれは平穏な生活を続けていた日々の中では
マイナスな印象でしかないんですが、
時間が経って振り返ってみると、
その事件が起きたおかげで
また更なる良い方向の未来へ向かって行動するきっかけになっているような…

ふと、そんな事を思い起こさせる人生の大きな節目にもなったタイトルが
『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』なのです。

仕事的にも、スクウェア最後の作品となりましたが、
やり切った感が強く、しばらく謹慎中だった
「聖剣伝説」というタイトルの復活も出来たし、
当時としてはほぼ満足出来た作品なのですが、
それよりも大きく自分の人生を変えた作品でもあったのです。

そして今、
ブラウニーズには『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』をプレイして
人生が変わりました!
と、ゲーム開発者への道を決め、その夢叶い
今、一緒にゲームを開発をしているスタッフも大勢います。

創った人、遊んだ人
どちらの人の人生にも大きく影響を与えた作品『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』
すごいですよね。

よくゲーム開発者の中で、
”ゲーム屋っていうのは医療や自動車開発のようにバグが出たとしても
人命に関わる仕事じゃなくて、本当に良かったな”
というような会話をしたりします。

でも命ではないにせよ、
”人の人生に大きく影響を与えてしまっているという事”も事実あるのです。

これからも”人の人生に影響を与えてしまうかもしれないもの”を
創っているんだという事を胸に刻んで、
ゲーム開発を続けて行こうと思いますぞ。

たかがゲーム。
されどゲーム。

そんな事を振り返ってみた、
『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』20周年でした。

では次回の錬ホルこそ、
青空の下でお会いしましょう!