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Kameoka Blog

練乳とホルモン

あん頃のあげな話 うさぴょん篇

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みなさんこんにちは、兎跳(うさぎはねる)です。
うさぴょんと呼んでください。

今日はTシャツ社長が長旅でお疲れなので、うさぴょんが代打をつとめます。
話題は、ええっと、うさぴょんの、あん頃のあげな話でもしゅーち思よっけん、読んでやらんねー。

うさぴょん(の中の人‥‥のことだけど、めんどうだから略)がゲーム業界に入ったのは、かれこれ24年ほど前のことかしら?

その前はマンガを書いて週刊少年ジャンプに投稿してたりしてた、マンガ家志望の青年、さらにその前は田舎から上京してタツノコプロのアニメ技術研究所で動画を書いていたタイムボカンシリーズ好きのアニメーターだったの。

アニメーターをやめた理由は、ある日、所長のS山さんが、酔っ払って研究所に帰ってきて、スタッフのこと愚痴ってるの聞いちゃったから。
だれそれはデッサン力が足りない、だれそれはうまいけどうんぬん、なんてことを言ってるのを聞いて、自分も陰で何か言われてるのかなーという思いが大きくなって、耐えられなくなってやめちゃった。

その後マンガを描いて投稿するようになって、投稿1作目が佳作、2作目で入選をいただいたんですけど、編集部内の評価は真っ二つに割れてたそうです。
とくに1作目、編集長の点数は10点満点中3点、副編集長は?点(点数つけてよ!)、という惨憺たる評価の中、ゲスト審査員のT橋よしひろ先生が10点満点をつけてくれてたってゆーお話でした。
2作目はちゃんと聞いてないけど、きっと似たようなもんだと思う。
ホップ☆ステップ賞セレクションって言う単行本に収録されているので、ぜひぜひ古本屋で探しだして読んでみてください!
猫山田ひろしのジャングルキッズ!です。

ほんで、マンガ描くようになって担当さんがついたはいいものの、その頃はもうゲームにどっぷりはまってて、ゲーム作りたくてしょうがなくなってて、同人誌みたいなものに企画書書いて、ゲーム制作会社やテレビ局に送りつけてたりしたの。

そうそう!
テレビ局に送ったのよ!
当時、土曜日の深夜に「オフィス・ヒット」ってゆー、新商品を企画しよう! って番組やってて、堀井ゆうじさんなんかもコメンテーターとして出てたりしたのね。
そこに同人誌送って、ちょっとだけテレビに出たりもしたの。
黒歴史だけどね!
でも、あこがれの堀井さんとお話できたのは、すんごく楽しかった。

そのTV番組がきっかけでたずさわった作品が、姫路黄金伝説!
これは検索してもなかなかヒットしない、忘れられた作品というか企画なんですけど、遊園地のイベントで、そこでもらえるシール用の絵を描いたりしました。

で、それが1年くらいやってたかな?
その後、ファミ通でゲームの制作スタッフを募集してたエピックソニーレコードって会社に移籍しちゃったの。

今でもよーく覚えているのは、その最終面接。
○山さんってゆー、いちばんエラい人との面接だったんだけど、
「うさぴょんは、このままずっとゲームを作っていきたいと考えてますか?」
って聞かれたの。
うさぴょんは
「いいえ、これからはゲームよりもっと面白いものが生まれるかもしれないし、いつも新しいことみつけて、新しいことをやっていきたいです」
って答えたの。
そのとき○山さんは、腕を組んで目を閉じてうなずいていて、その様子を見てうさぴょんも、きっとここは良い会社に違いないって思ったものだったわ。

たずさわった作品としては、名前は出てないけど「Solstice」ってゆーアクションゲームが一番記憶に残ってて、イギリスのソフトハウスから持ち込まれたものなんですけど、地味でとっつきにくくて、最初はみんな敬遠してたのを、ひとりでまわりに薦めまくってました。

で、うさぴょんがゲーム業界に入ったのはRPGを作りたかったからなんだけど、ちょうどROMが不足してた頃で、未経験でRPGなんか気軽に作らせてもらえなくって、ほんで当時キラキラと輝き始めてたスクウェアさんを受けることにしたの。

相手は大人気のスクウェアさんでしょう?
履歴書は目立たなきゃダメよね!
なんて思って、履歴書はスルメに書いて送ったものでした。

そのスルメが功を奏して、スクウェアへの移籍は実にすんなり!

スクウェアに入ってからは‥‥
いろいろあったなあ‥‥

最初にかかわったのは、ファイナルファンタジー3のモニターで、遊んでみて感じたことをPCで書くんだけど、キーボードに慣れてなくって、すんごく時間かけて書いたものでした。
ほんでそのまま、ファイナルファンタジー4に見習いで入って、でもなんか役に立てないままサガチームに移籍して‥‥

ずっと後になって人に経歴を聞かれた時、ファイナルファンタジーチームではたいした実績なんかなくって、しょうがなく「プチメテオとプチフレアの名称を考えました」って、自虐的に言ったりしたものだけど、それがwikipediaなんかにも載っちゃって、ちょっと恥ずかしい想いをしています。

ロマサガでの、バトルのあとのくるくる回ってキックポーズを取る演出なんかもそう。
自慢できる仕事じゃなくって、それくらいしか残せてないというほろ苦い思い出なのです。

まあ、人生だもの。
浮き沈みはあって当然よね。

そのあとのライブ・ア・ライブだったりFFTだったりレジェンド・オブ・マナだったりになると、自分でも誇りに思えるものも残せてきたなあって自負しているんですけど、そちらはまた今度社長さんが旅に出たときに書こうと思う!

てことで、そのときにまた会いましょう!